この物語には、このお酒を。
サッポロラガービール
(赤星)
みんなでコップを掲げながら「乾杯!」は、お祭り騒ぎ開始の合図。楽しいに決まってる。でも、記憶に残る乾杯はそれじゃない。大切な人と、大切な始まりを祝うとき。葵と圭太、2人の赤星が「ろく」で見つかりますように。
原案/所 新二 作/ 羽月 みゆき
葵は、目についた居酒屋の扉を開けた。店の名前は「串カツろく」。
店先には白い提灯が掛かっており、大きな字で「ろく」と書かれていたが、葵には店名を把握する余裕などなかった。
もうあんなやつ知らない———
心の中は、怒りと寂しさで押しつぶされそうだった。
恋人の圭太は、最近何度もデートのドタキャンをする。やっと会う約束ができた今日は、待ち合わせの場所に来ない上に、送ったLINEは既読にさえならない。
もう、私のことはどうでもいいんだ——
どこでもいい。葵はお酒を飲んで、少しでも現実から目を背けたかった。
串カツろくは、カウンターが10席と、小さなテーブル席が1つあるだけのこじんまりとした店だが、その日、店内はほぼ満席だった。運よくカウンターの1席だけが空いていた。
店主の男性は手際よく串カツを揚げていて、周りから「ロクちゃん」と呼ばれている。店名はこの人の名前から取ったのだろう。女性スタッフは「ももちゃん」と呼ばれ、威勢よく声をあげながらお客の対応をしている。とても活気のある店だ。
葵は瓶ビール1本と、ソース串カツ3本。おばんざいとして、明太子とブロッコリーの和え物と、ブリの味噌煮を注文した。今夜、スマホを見ることはやめよう。葵はそう決心した。晴れない表情のままビールをあおった。
葵の隣の席には、一人の男性が晩酌をしている。
優しい目をした男性だが、表情はやや硬い。年齢は葵と同じくらいだろうか。
日本酒を飲みながら、黙々と刺身と串カツを平らげている。
男性の様子をちらりと見つつ、葵は揚げたての串カツを頬張った。
「あ……。美味しい……」
思わず口から洩れた。
サクサクで、油の匂いが全くが無い。豚肉は柔らかく、そしてとてもジューシーだ。
葵は3本の串カツをぺろりと平らげてしまった。サバの味噌煮も気付いたら箸が進んでいる。
「あの、串カツもう3本お願いします」
「はい!ありがとうございます」
店主のロクは嬉しそうに応えた。
「ここの串カツ、美味しいですよね?」
不意に、隣の男性が葵に声をかけてきた。
「はい。とても美味しくて驚きました。こんなに食べやすい串カツ初めて。思わず追加注文しちゃいました」
「僕も大好きです。ロクちゃんは、おばんざいもすごく美味しいんです。優しい味付けで、ほっとします」
「サバの味噌煮、ほろほろと身が解れる柔らかさだけど、すごく肉厚で食べ応えあります。味付けは、味噌がこってり過ぎず、食べやすいです。」
ですよね、と頷く男性は、先ほどの表情からだいぶ柔らかくなっていた。
この人、いいかも————
葵はつい下心を抱いてしまう。お酒が入り気持ちが高揚したことと、圭太との付き合いに陰りが帯びてきたために、そんな感情が芽生えたのかもしれない。
「今日、ひとり酒になっちゃったから、お話できる人が隣りにいてくれてよかったです。」
男性の台詞に、葵は居心地が良くなる。こちらこそ、と、にこやかに応えた。
「実は今日、彼女と飲もうと思ったんですけれど。ここに来なくて……」
「え……。なんかあったんですか?」
‘彼女’という単語に軽くショックを受けたものの、葵は冷静に話を聞こうとした。
「僕が悪いんです。最近仕事が忙し過ぎて、ずっとデートを断ってばかりで。僕、不器用だから仕事と恋愛の両立がうまくできなくて……。でも、やっと今夜時間が取れたから、誘ったんですよ。ここの串カツを食べてもらいたくて。でも、未だに返信無しです」
男性は苦笑いをしながら日本酒を飲む。
「でも、彼女さんのことは好きなんですよね?」
「……はい」
「LINEじゃなくて、いま、電話してみたらどうですか?今からでも、おいでよって」
「うーん。どうでしょう。居留守使われたらショックだし。
「彼女さん、意地張ってみたものの、どうしていいか分からない状態かも。ストレートに電話するのが一番かも」
「……はい。でも、いまここ満席だし」
「私がこの席を空けるから、大丈夫!」
「いいんですか?」
男性はスマホを片手に、店を出た。
なにやってんだろ———
葵は小さくため息をついた。
人の恋愛を応援しちゃった。しかも、あの人の悩みって、私と圭太の関係とほとんど一緒だ。
他人事だと、こんな風に前向きな言葉をかけられるって。いい加減だな、私———
葵は、追加の串カツを頬張る。揚げたての串カツから、熱い肉汁が溢れた。
圭太、きっとこういう店が好きだろうな。
串カツもおばんざいも美味しくて、カウンター越しで、店の人とお客さんとの距離が近い店。
なぜか圭太のことばかりが思い浮かぶ。さっきまでの怒りの棘が溶けてしまったかのようだ。
美味しいものを食べると、心が落ち着くって、本当なんだ———
鞄の中からスマホを取り出す。圭太から着信が何件も入っていた。
「すみません。彼女、今からここに来るって」
店に戻った男性は、葵に頭を下げながらも、ほっとした表情をしている。
「よかったです。一緒に飲みながら、彼女さんのご機嫌、とってくださいね」
葵はそう言葉をかけて、会計をすませたあとに店をでた。
圭太に電話をすると、彼はすぐに出た。
「本当にごめん。ずっと書けなかったシナリオの構想が浮かんで、めちゃくちゃ集中しちゃった。これを練って、なんとかしてテレビ局に持っていきたい。てか、ほんとにごめん。今からでも会いたいんだけど……」
駆け出し中のシナリオ作家の圭太は、泣きそうな声を出す。
なかなかモノにならなくて、ずっと苦戦していたことも知っている。
「じゃあさ、今度串カツ奢ってよ。いい店見つけたんだ」
葵がそう言うと、一瞬の間があいた。
「え、串カツ!俺、食べたい!もちろん奢るよー。てか、すぐ行きたい!!その店どこにあるの?」
すぐにでも飛んできそうな圭太の勢いに、葵は思わず笑ってしまった。
店内は満席の串カツろくだけど、店先には屋外ベンチ席があった。あそこで飲むのもいいかもしれない。星を見ながら串カツを頬張る二人を想像して、葵は楽しくなった。
閉店後、ロクは店の片づけをしながらカレンダーを見遣る。
「今度の休み。嫁さんとどっか行こうかな」
そう呟くロクに、スタッフのももちゃんはにやりとする。
「ロクちゃんは仕事人間だから、たまには奥さん孝行してよー」
「なんかさ、今日みえた2組のカップル。最後はラブラブだったからさ。やっぱり声かけって大事なんだなって思ったよ」
「そうよー。女はね、構ってもらえないとすぐに拗ねちゃうからね。気を付けてね」
「はい、気を付けます!」
ロクはいつもより手際よく片づけをしている。ロクが早く帰れるよう、ももちゃんも皿洗いのスピードを上げた。
この物語には、このお酒を。
みんなでコップを掲げながら「乾杯!」は、お祭り騒ぎ開始の合図。楽しいに決まってる。でも、記憶に残る乾杯はそれじゃない。大切な人と、大切な始まりを祝うとき。葵と圭太、2人の赤星が「ろく」で見つかりますように。
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