この物語には、このお酒を。
特別純米酒 酔鯨
自分が食べたいと思った料理をつくるために腕を磨く。それはアマチュア。自分で食べたいと思ったものを、人が「唸る」まで仕上げる。それがプロ。評判の酒に合う味か、という課題もある。例えば、酒国・土佐のキレのある辛口なら、どうする、ろくさん?
原案/所 新二 作/ 羽月 みゆき
今日もタクミさんは物静かに純米吟醸を飲んでいる。
ロクは、タクミさんの様子をちらと見ながら、串カツを揚げる。
「串カツろく」は、その日も満席で賑わっていた。
店主のロクと女性スタッフのももちゃんは、お客と会話しながらも、ずっと手を動かし続けている。
タクミさんは週に一回くらいのペースで飲みに来る。いつも日本酒を飲みながらおばんざいを3種と、串カツを2本食べる。仕立てのよさそうなジャケットに、糊のきいたシャツを着るタクミさんは紳士然といった風格を保っていた。年齢は50代後半くらいだろうか。
「ロクちゃん、カキフライについてるタルタルソース、すごく美味しいです。素材の味が生きている感じがします」
タクミさんは、いつも丁寧な言葉遣いでロクの料理を褒める。
「ありがとうございます。玉ねぎと卵をあえて粗みじん切りにしました」
「このタルタルだけでも、酒のつまみになります」
タクミさんは会計を済ませたあとに鞄の中からA4サイズの封筒を取り出した。
「ロクちゃん。これなんですけど、よかったら読んでみてください」
タクミさんはロクにその封筒を手渡す。少し遠慮がちに口を開いた。
「お節介ってことは重々承知しているんですけれど……」
ロクは封筒から紙を取り出した。そこには、何枚にも渡って、料理のレシピが書かれていた。
「え……。これ、タクミさんが書いたんですか?」
ロクは驚いて紙を見遣る。手書きで、料理名、材料、作り方が細かく書かれていた。
「はい。実は私、趣味で料理を作ることが大好きで。ロクちゃんみたいな本物の料理人にこんなレシピを渡すことが僭越だと理解していますが。ここの料理を食べながら、ふと、こんな料理があるといいかも、なんて勝手に思ったんです。すみません。出しゃばっちゃって。あの……必要なければ捨てても構いませんから」
「いえいえ。参考にします。だけど、びっくりしました。趣味とはいえ、タクミさんが料理好きだなんて」
タクミさんは、すみませんすみません、と頭を下げながら退店した。
「タクミさん、すごいねぇ。こんなにレシピが書けるなんて」
ももちゃんも目を丸くしてレシピ集を見ている。
ロクはすぐにでもレシピを読みたいが、混んできた店の仕事に集中した。
「ももちゃーん。日本酒おかわり。それとカキフライも2個追加ね。」
常連客のなかちゃんは、顔を赤くして声を張り上げた。
地元のラジオ局に勤めるなかちゃんは酒豪で、何軒もハシゴをしたあとで串カツろくへ赴き、日付が変わるまで飲む。
「このタルタルソース最高だね。これがあると何個でもカキフライが食べたくなるよ」
「違うお客さんも、タルタルソースを褒めてくれました。」
ロクは嬉しくなって思わず伝えた。
「その方も、なかちゃんと同じで純米吟醸が好きなんですよ。味の嗜好が似てるのかな」
「へぇ。ここによく来るの?」
「タクミさんといって、週に1回は来ます。年齢はなかちゃんと同じくらい。そういえば、二人は一度も会ってないですね。それも不思議です」
なかちゃんは、箸を持つ手を止めて、目を瞑る。
「タクミさんか……。懐かしい響きだなぁ」
「どうかしたんです?」
ロクは、珍しく感慨深げななかちゃんの様子が気になった。
「いや。以前よく一緒に飲んでた友達が近所にいて。その人もタクミさんって名前だったの。俺と違って、品のいい紳士でさ。本業はエンジニアなんだけど、大の料理好きで。タクミさんは単身赴任で一人暮らしだったから、自宅で手料理を振る舞ってくれてね。俺は独身だからよくご馳走になったよ」
ロクは話を聞きながら目を丸くした。
「え……。料理好きなところも一緒ですね。もしかして、同じ人かも」
「そんなわけないよぅ」
なかちゃんは目を細めながら日本酒を飲む。
ロクはタクミさんからもらったレシピを思い出した。
「実は、このレシピ。その、タクミさんがこないだ僕に渡してくれたんです。あれ以来、音沙汰無くて。書かれているメニュー、どれも美味しそうなんです。お礼が言いたいのに、タクミさん来なくなっちゃって……」
ロクはなかちゃんにそのレシピを渡した。
レシピを見るなかちゃんは、信じられない、といった表情で目を大きく見開いた。
「嘘だろ……。そんな。嘘だ」
紙を持つ手がかすかに震えている。明らかに動揺しているなかちゃんを見て、ロクは声をかけられない。
「これ、タクミさんの得意料理だ……。え……、ほとんどがそうだ。ナスの煮びたしネギソース和えまで……。信じられない」
「なかちゃん。お互いが知ってるタクミさんは、やはり同一人物ですよね?」
「そんなはずないんだ。だって、タクミさんはこの世にいない人なんだよ!!」
「えぇぇ!嘘でしょ!」
ロクは驚きのあまり、持っている皿を落としそうになった。
その後、なかちゃんはタクミさんについて語ってくれた。
タクミさんは定年退職を機に、おばんざいの店を出すことを目標にしていた。趣味でやっていた料理の腕を日に日に上げ、独学で焼き鳥の串うちなども習得していた。定年後は地元に戻り、「拓(タク)」という店の名前で開店する準備を進めていたという。
60歳の誕生日間近、タクミさんは自宅の中でくも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となった。
ずっと離れて暮らしていた奥さんは、夫の死を受け止めることが出来ず、遺骨を部屋の中に置いていた。亡くなって一年がたち、最近納骨に踏み切ったそうだ。
「きっとね、タクミさんは串カツろくみたいなお店をやりたかったんだと思う。『ロク』と『タク』、響きも似てるしね。カウンターがあって、お客さんとの距離が近くて、みんなが喋りながら楽しそうに食べる店。だから納骨される前に……本当に空に行く前に、ロクちゃんにレシピを渡したんだよ」
ロクは、なかちゃんの話を聞いて切なくなった。
タクミさんが叶えることができなかった夢。ロクはその夢の一端を担ったような気持ちになった。
「ねぇ。そのレシピの料理、実際ここで出そうよ」
横で話を聞いていたももちゃんが涙声で提案した。
ロクは何枚ものレシピの中のひとつに目を止めた。
「この、『トマトとガリのサラダ』、すぐにやってみようかな。」
ももちゃんとなかちゃんがレシピを覗き込んだ。
『トマトとガリのサラダ』は、トマトにオリーブオイルをまぶし、その上にガリとレモン汁をかける料理だ。仕上げの黒コショウで仕上げる。簡単なうえ、お酒が進みそうな爽やかそうな一品だ。
「これ食べたい!」
「トマトとガリって、ありそうで無かったよね」
ももちゃんとなかちゃんは乗り気だ。
「このレシピ。全部試作してみたい」
ロクは呟いた。
「じゃあさ、毎月、タクミさんの命日にやろうよ。『ロクとタク』の限定メニューとしてさ。天国のタクミさん、絶対喜ぶよ」
なかちゃんが目を潤ませながら語り続ける。
「俺……、またタクミさんの料理食べたい。それをロクちゃんが再現してくれるなんて、
嬉しくてうれしくて……。」
最後はおしぼりで涙を拭いた。
そんななかちゃんの様子を見たロクは、気持ちを動かされた。
「僕、やってみます」
ロクは穏やかに微笑むタクミさんを思い出しながら、この店をずっと守ろうと決意を固める。
「ねぇ。タクミさんを偲んで、みんなで乾杯しようよ」
目を赤くしたももちゃんが瓶ビールを持っている。
「そうだね。今夜は『ロクとタク』。この言葉を胸にしながら、タクミさんの思い出話と、新しい料理の話、沢山しよう」 その夜、串カツろくでは遅くまで、杯を交す音と洟をすする音が途絶えなかった。
この物語には、このお酒を。
自分が食べたいと思った料理をつくるために腕を磨く。それはアマチュア。自分で食べたいと思ったものを、人が「唸る」まで仕上げる。それがプロ。評判の酒に合う味か、という課題もある。例えば、酒国・土佐のキレのある辛口なら、どうする、ろくさん?
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