素顔になれなくて

作/ 羽月 みゆき

奈緒は、ワイングラスを片手に明後日の方向を向きながら、夢見心地に話す。

「温室の中は、奥深いジャングルなの。亜熱帯の樹木の枝が伸びてね、自分の幹に巻き付いてるの。ぐるぐるぐるって。自分で締め上げているんだけど、なんだかギリシャの彫刻みたいになっててかっこいの。その横にはラッパみたいな形をした食虫植物が傍にあって昆虫をパックンと飲み込んでるの。あれはホラーよね。」

「へえ。奈緒ちゃんて植物鑑賞が好きなんだね」

隣りに座るしんちゃんは、ひたすら奈緒の話を聞く。今夜は、しんちゃんの彼女・玲子の姿はなく、彼は一人酒だ。

「んー。植物よりも、温室の弛緩される空気が好きなの」

「弛緩?」

「あの生暖かい空気。全身の強張った糸が解れるような。そんな感覚……。あ、ロクちゃんワインのおかわりちょうだい。次は赤ね」

奈緒は既にグラスワインを5杯ほど飲んでいる。

ワインが好きで、串カツろくではいつもふらふらになるまで飲み続ける。

童顔で華奢な体型の奈緒は、よく学生に間違われる。普段はおとなしい性格だが、お酒が入ると途端に饒舌になる。

「あとね、こないだ白川公園でやってるサーカス見に行ったの。光と音の重なり、アーティストの跳躍で、万華鏡のなかにいるみたいだった」

「あ、俺もサーカスいったよ」

「玲子さんと一緒に?」

「ううん。俺一人で。玲子は、サーカスの刹那的な美しさや、仄かな闇が分からないんだ」

「しんちゃんって結構厳しいこと言うんだね」

「うーん、まぁ、俺と玲子は言いたいことははっきり言う、って感じかな」

「なんだかんだ言って、相思相愛だよね。いいなぁ、二人とも幸せで」

その後、奈緒は赤ワインと味噌おでんを食べながら、延々としゃべり続ける。

「この組み合わせって最高。ずーっとワインが進むわ。ロクちゃん、おかわりー」

「奈緒ちゃん。もうかなり飲んでるよ」

ロクの台詞に対して、奈緒は目を見開く。

「大丈夫だって!まだ全然平気だから!」

ロクから赤ワインのグラスを受け取り、奈緒はごくごくと飲む。やがて呼吸に合わせて肩が上下に揺れ始め、うつむいたまま寝息を立てている。10分くらいその状態が続いたあと、目を覚まして再び飲み始めた。

「いまね、桃狩りにいった夢見たの。そしたらね、ももちゃんがいたの。桃農園に。ももちゃんが一生懸命に桃を育てていて、私もお手伝いするんだけど、触るとすぐに桃が傷んじゃうの。ももちゃんの真似しようとしても全然できなくて。だから、食べることに専念しようと、手でもぎ取った桃に齧りつくんだけど、どれもちっとも甘くないの」

奈緒は次第に萎れていく。

「なんかさ。夢のなかでもわたしって冴えないなーって、思っちゃった。お酒飲んでる時間が一番幸せだわ」

「アハハハハハハハ……」

「しんちゃん、そこ笑うとこじゃない!」

「ゴメン。だって奈緒ちゃんさ、温室行ったり、サーカス行ったり、楽しい時間過ごしてるじゃない」

しんちゃんがそう言うと、奈緒は首を振る。

「いつもひとりで動いてるの。私、お酒が入らないと全然喋れないからさ。誰かと一緒にいると、自信がなくなるのよ。変なこと言ってないかなって。そう考えているうちに、どんどん喋れなくなって、ただの陰キャになっちゃう」

「ウヒヒヒヒ……」

「もう!また笑うよね!」

「だって奈緒ちゃん。酒がないと駄目だって思ってるの?」

「うん」

「酒が入らないと自信が起きないの?」

「そう」

「絶対そんなことないよ」

しんちゃんの確信めいた台詞に、奈緒はがばっと顔をあげた。

「だって、そうでしょ?私、お酒飲むと明るくなるでしょ?楽しくなるでしょ?」

しんちゃんはロクに目配せをする。ロクは頷いた。

「奈緒ちゃんは、お酒の力に頼らなくても大丈夫だよ」

「ロクちゃんまで、なんでそんなにはっきり言うの?」

「実は、今日奈緒ちゃんが飲んだワイン……全部、ジュースだから」

奈緒は虚を衝かれたよう表情になる。

「え……。ウソ……。」

ロクは、赤ブドウと白ブドウのジュースのパッケージを見せた。

「なんで……。なんでそんなことするの?」

「奈緒ちゃん、いつもお酒が入らないと喋れないって言ってるじゃない?俺、もしかしたら

『お酒を飲んでいる』という認識だけがひとり歩きしてる気がしたんだ」

「………」

「だからね、今日ロクちゃんとこっそり相談したんだ。奈緒ちゃんのワイン、すべてノンアルにしようって」

奈緒は、泣きそうな表情でしんちゃんとロクの顔を見回す。

「お酒が入らないとダメっていうのは奈緒ちゃんの思い込みで、本当は大丈夫なんだよ。実際に今日は、一滴もお酒を飲んでない。だけど奈緒ちゃんはすごく陽気になってた」

ロクが諭すように言うと、奈緒は、でも……、と口ごもった。

「私、本当に口下手だから……人からどう思われてるかって考えると、しんどくて。こんな自分が嫌だから、せめてお酒を飲む時間は、解放されたくて……」

奈緒の目から涙が流れていた。

「アハハハ……そんなに追い込まなくても大丈夫だよ。酒飲みながら黙っていても、瞑想に老けっていても大丈夫。本を読んでもいいし、スマホのゲームをしていてもいい。美佳ちゃんみたいに、飲みながら小説書いてる人だっているんだよ。酒はさ、『手段』じゃなくて、『おまけ』でいいんだよ」

「おまけ……」

奈緒がかすれた声で呟いた。

「そう。おまけ。うーん。違う言い方をすれば、線香花火かな。ぱちぱちと弾ける、小さくて美しい火花。でも長くは続かない。ぽとりと落ちた後は、かすかな残り香だけが漂う、儚いひととき」

「……なんかの詩みたい」

「俺、昔からジャンル問わず詩集を読むのが好きなんだ」

「え……意外」

奈緒はしんちゃんの神妙な顔を見ながら、手元に置いてある沢山のグラスを眺めた。

「それにしても、しんちゃんはお酒が強いんだねー。こんなに飲んでるのに、笑って楽しそうにしてる」

「あ、これね。実はノンアルなの。サラリーマン時代に、お客さんとの会食の場で飲みすぎて、大切な話をしているときに笑ってしまって……。キミ、なんで笑ってるんだって怒られちゃったんだよ。で、その商談は破談になっちゃって。アハハハハハ……」

「え、それヤバ」

「俺、笑い上戸だからさぁ。酒癖は悪くないと思ってたんだけど、ダメだね。反省もあって、ノンアルにしてるの」

「えー。しんちゃん、エライね」

「アハハハハハ……今日はなんか、奈緒ちゃんを試したみたいでゴメンね」

しんちゃんは始終にこやかに話し続けた。

「てなわけでさ、奈緒ちゃん。酒は気を張って飲むものではないからさ。ここにいるときは、心を楽にして過ごそうよ」

「……できるかな。線香花火……」

「俺が見本だ—!ギャハハハハ」

しんちゃんが胸を張りながら大声で笑い出した。

「でもシンジさん。時々打ち上げ花火連発しますよね。ドカーンって」

「ちょっとロクちゃん、いいこと言ってるときに釘刺さないでよぅ」

奈緒はクスクスと笑い出した。

「だって、ほら、今日も大声で笑ってるし」

奈緒の台詞にも、しんちゃんは首を振る。

「だからさぁ。今日は控えるためにノンアルにした……ロクちゃん、ん?え?」

ロクはイタズラが見つかった子どものように、そっぽを向いた後、にやりと笑う。

「え……、ちょっとロクちゃん……ま、まさか……」

ロクは何も言わず、さぁ、と両手を広げて、とぼけた表情をしている

しんちゃんは、目の前に置かれている大量の空のグラスを見つめた。

「ってことは、たくさん飲んじまってるし、俺。アハハハハハ……ヒヒヒヒヒ……ヤバ」

しんちゃんは振り子のように揺れ始めた。

「フフフ。フヒヒヒヒヒヒ……止まらなくなってきた」

「ヒャヒャヒャ……ガハハハハ……ギャハハハハハ」

「カッ……クックック」

「ガガガガッ」

素に戻れるのがお酒であれば、素にさせられるのもお酒。 

この物語には、このお酒を。

アラン・ミリア
ソーヴィニヨン・ブラン
グレープジュース
(ノンアルコール)

「1時間幸せになりたかったら、酒を飲みなさい」というのは中国の諺の一節。飲んでる間は全部忘れて、自分に戻れるということなのかな。「酒は人生を教えてくれる」は、左党の先輩たちがよく口にする言葉。酒を介した出会いで自分が鍛えられる、からだとか。ただ、どちらも酒が主役というのがちょっと悔しい。自覚はないけど、奈緒のように自身の力でハッピーに。この店には、酒に飲まれないように守ってくれる仲間がいる。ノンアルやジュースの力を借りるのも良い。

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