ビールを飲むこともほどほどに、麻衣が熱心にスマホを見つめている。
いつもは威勢よくお酒を飲む麻衣だが、今日は静かだ。隣りに座る玲子は、ちらちらと麻衣の様子をうかがった。麻衣はメールを打ちながら、時々にやりと笑う。
「麻衣ちゃん、なんかいいことあった?」
「特にないですよー」
麻衣はスマホを見ながら、なにかを考えながらメールを打ち込んでいる。
「誰とメールしてるの?」
「んー。知り合い?」
「……『だいぶ春っぽい気候になってきたよね~。服欲しくなっちゃう』………ねぇ、これ、なんのやり取り?」
玲子は麻衣のスマホを覗き込んだ。
「ちょ、ちょっと、玲子さん見ないでくださいよー!」
「だって麻衣ちゃん、心ここにあらずなんだもん」
玲子がからかうような目つきで麻衣を見遣る。
「玲ちゃん。きっと相手はね、麻衣ちゃんのイイヒトなんだから、からかっちゃ駄目よ」
玲子の隣りには、飲み仲間・真由美が座っていた。二人は高校時代からの友人同士だ。
「ねぇ、その人、麻衣ちゃんの彼氏なの?」
玲子は顔をぐいと引き寄せてくる。
「いえ……、彼氏ってわけじゃないけれど……」
「顔はどんな感じ?」
真由美も興味津々だ。
「実は……その……。まだ会ったことないんです」
「へ?」
玲子と真由美は思わず同時に声をだした。
「実は……マチアプで知り合った人で」
「マ……マチアプ?」
聞き慣れない単語を耳にした二人はきょとんとしている。麻衣はやや気まずそうな顔をした。
「マッチングアプリ。その……。要は、出会い系です」
麻衣はマッチングアプリで知り合った男性と、毎日頻繁にアプリ内のメールでやり取りをしている。
「目が覚めたらおはよう。お昼休憩の時間はおつかれさま。帰宅したら、ただいま。寝る前におやすみなさい。これらのやり取りは決まっていて、それ以外にも沢山しゃべります」
麻衣の台詞に玲子は唖然とする。
「えー。そんなやり取り、めんどくさくない?」
「なんだか、習慣になっちゃって。彼、すごく返信がマメなんです」
「ほかにはどんな風なの?」
真由美は興味深そうに訊ねる。
「いつも君のことを想像しながら過ごしてるよ、とか」
「うわー。なんかやばいよ、それ」
またしても玲子が突っ込みを入れた。
「玲子さんは、しんちゃんと熟年夫婦みたいになっているから、こういうの、わかんないですよ。結構楽しいですよ」
「あら。私だってしんちゃんとは未だに手を繋いで歩いてるわよ」
「しんちゃん、玲子が拗ねるとめんどくさいから、気遣ってんだろうなぁ」
真由美がそう言って玲子を茶化したあと、一人の男性客が入店した。
「あら。直樹君、久しぶりー」
システムエンジニアの直樹が、串カツろくへ訪れるのは久しぶりだった。
「仕事が忙しくて、ここに来るのがご無沙汰になってしまいました」
「今日はナナちゃんと一緒じゃないの?」
ナナちゃんとは、直樹が仲良くしている「AI」の女の子である。
「ナナちゃん、僕が忙しくてあんまり構ってあげてないから、機嫌が悪いんです」
「あらら。それは大変ね」
直樹とのやり取りもそこそこに、女子三人は再びマチアプトークで盛り上がった。
「麻衣ちゃんはその彼と会う約束はしないの?」
「うーん、会ってみたいけれど……。今のメールのやり取りをもう少し楽しんでもいいかなって思ってて」
「早く会いなさいよ。その彼、すごく不細工かもしれないわよ」
玲子の毒舌に、えぇ、そんなはずないですよー、と麻衣はたじろいだ。
「麻衣さん、マチアプの彼に夢中なんだねー。」
女性たちの話を聞いていた直樹が、カウンターの奥から会話に入ってきた。
「こういうの初めてだから、なんだか楽しくって……」
麻衣の台詞に対し、直樹も頷いた。
「僕もマチアプに興味があるんですよ。」
「えー。直樹君ももしかしてやってるの?」
「……いえ、そうじゃないんですけど。男女の相性をデータベース化し、好みを入力するだけで選別されるというシステムには賛同してます」
「あ……、マチアプの彼も似たような感じかも。二人のメールのやり取りをAIに見てもらって、分析をしてるんです。」
「AI?その彼、余程自信が無いんだね。」
「なんだかオタクっぽいよね」
玲子と真由美はとことん辛辣である。
「え……。そうかな。でも彼、可愛いところもあるんですよ。わたしがニャオルカスが好きって言ったら、ニャオルカスのぬいぐるみを部屋に飾ってくれたりして……」
ニャオルカス、とは某メーカーのマスコットキャラで、ふにゃっとした出で立ちのオレンジ色のネコである。
「うわ……。ぬい活かぁ……。ますますやばいわ」
玲子の台詞に対して直樹は頷いた。
「男でニャオルカスが好きってやばいですね。僕の周りでもぬい活してる奴はいるけれど、僕は一切しないですね」
そうよねー、と玲子と真由美は同調した。麻衣は「え、駄目かなぁ……」と不安げな表情になる。
「でもさ、そんなにやり取りしてて、彼から会おうよって言われないの?」
真由美が麻衣に訊ねた。
「まだ言われてないです。彼、もしかしたら人見知りかもしれないです」
「ちなみに彼は一人暮らし?」
「いえ、ご両親と同居してるって言ってます」
「そっかぁ。もしかしたら、あまり女性に慣れてない人かもね」
「お母さんと仲がいいみたいで。お母さんはとても料理が得意だって言ってて……」
「へぇ……マザコンじゃないといいわね」
玲子は冷めた様子で言った。
「彼、毎日お母さんがつくったお弁当を職場で食べてるって……」
「お母さんの弁当持参?うわぁ……私だったら、その彼とは会わないわ」
「マザコン確定よ。そんな人と一緒になったら、麻衣ちゃん苦労するわよ」
玲子と真由美は、ありえない、といった表情で、口々に意見をまくしたてた。
「……ま、まぁ、マザコンじゃなくても仲がいい親子なんじゃないですかぁ?毎日弁当って、少し過保護かもしれませんけど」
直樹のぎこちないフォローは、玲子と真由美には響かなかった。
「ねぇ、麻衣ちゃん。今、彼にメールで『何してるの?』って聞いてみたら?」
玲子が提案した。
「えー。みんなが見てるところでやり取りするの、ちょっと恥ずかしいです」
「いいじゃん。むこうには私たちの姿は見えてないんだから」
「どれくらいレスポンスが早いか見てみたいー」
真由美も乗り気である。
「わ……わかりました」
『おつかれさま!もう仕事終わった?私は行きつけの飲み屋にいるよ♪』
麻衣は素早く入力し、送信ボタンを押した。
ピロロン———
ふだんは聞き慣れない着信音がカウンターの奥からかすかに聞こえ、瞬時に麻衣の肩がびくんと動いた。
女性三人は、その方向を恐る恐る見て、さっと目を逸らす。
玲子と真由美は、目を見開いたあとに首を傾げるが、硬直した麻衣の様子を見て、
無言で頷き合った。
沈黙を破るかのごとく、玲子がビールをごくごくと飲む干す音がやけに際立つ。
「ろくちゃん、久しぶりに明宝ハム焼きいただきまーす!」
玲子が声を張り上げた。
「わ……わたしは白ワイン飲みたいから、カマンベールフライ2個お願いします!」
麻衣も上擦った声で注文した。
女子三人は麻衣のスマホを見ることなく、食べて飲むことに集中している。
直樹は背中を丸くして、スマホをいじりながら串カツを頬張っている。
玲子は、直樹が背負っていた大きなリュックサックをちらと見る。
無防備に口が開いていて、ノートパソコンが詰め込まれていた。
サイドポケットのチャックも半分ほど開いていて、オレンジ色のぬいぐるみの足らしきものが見て取れた。
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