桜捨町

作/ 羽月 みゆき

「ん?桜酒?」

なかちゃんは串カツろくの店内に貼ってある手書きの紙に目を向けた。

「桜の季節限定で、日本酒に桜の塩漬けを入れてるんですよ」

ロクの返答に対し、なかちゃんは興味深そうな表情をした。

「いいねぇ。日本酒に桜の塩漬けって進みそうだ。ちなみに桜の塩漬けって、どこで売ってるの?」

「私が買ってきました!さくらすてまちの桜です」

カウンター内で働くももちゃんが威勢よく答えた。

「さ……、さくら、すてまち?」

「そう。さくらすてまち。桜を捨てる町、と書いて、桜捨町」

なかちゃんは、へぇ……と呟いた。

「なんでそんな名前なんだろ?」

「由来があるんです」

ももちゃんは手際よく働きながら、語り始める。

こんな話であった。

ももちゃんが休日に、小さな街を自転車で縫うように走り抜けた。

彼女は、時々目的地を決めずに走ることがある。その日は見慣れない場所を走ろうと決め、気が付いたら静かな住宅街に辿り着いた。信号機の標識には「桜捨町」と書いてある。

―――さくらすてまちって読むのかな?変わった名前——

ももちゃんは更に自転車を走らせると、町の中心部付近を流れている川に辿り着いた。

川の両岸に咲いている桜は満開で、ちらほらと人が見物に来ていた。

年季の入った桜は川を覆うように林立していて、川面はピンク色に染まっている。

ももちゃんは、思いがけず美しい桜に出会えて嬉しくなった。

ちょうど正面から桜を鑑賞できる位置に建っている喫茶店に入り、期間限定の桜茶を注文した。

お茶の中に桜の塩漬けが入っていて、ほどよい塩気が疲れを癒してくれた。

そこは純喫茶といわれるような古めかしい店で、老女が一人で切り盛りしている。

他にお客は二名ほどいるだけだ。ももちゃんは思わず老女に声をかけた。

「あの……ここって、さくらすてまちって読むんですよね?由来とかあるんですか?」

老女は目を細め、おそらく何十回も説明したような、滑らかな口調で語り始めた。

「昔、この付近の屋敷の庭には桜の木が植えられていたの。ある年、集落で火災が起きたり、生まれたばかりの赤ん坊が感染症で亡くなったり、数軒の屋敷に泥棒が入ったり、多くの災難が重なってしまって……。それで、集落の長が気を揉んで、氏神様を祀る神社へ相談に行ったの。神主は、桜の木が原因ではないか、と言ったそうな。桜は儚く散るものだから、家の衰退を招く。庭に植えてはいけない、と。それで、集落の者は一斉に桜の木を伐採した。そこから、桜捨町、という名前が生まれたらしいの。木枝をあちこちに捨てる者がいて……」

「へぇ……。なるほど。だから川沿いに桜が咲いたんですね」

ももちゃんの台詞に対し、老女は大きく首を横に振った。

「いや、違うんだよ。川に桜が咲いたのは、全く違う理由があってね……。」

ももちゃんは老女の説明の続きを待った。

「桜を伐採してほっとしたのだけど、今度は長雨のせいで川が氾濫するようになってね……。当時、川の治水対策はいい加減なものだった。大がかりな工事をする予算もなく、集落全体が再び頭を抱えてねぇ。そんなとき、ひとりの百姓が『川沿いに桜を植えたらどうか』と言い出した。江戸時代。徳川吉宗将軍が、積極的に川沿いに桜を植えさせたという話があったの。桜の根が張ることで、土手は頑丈に。また、桜によって人が多く集まり、土を踏み固め、堤防を強くする効果を期待したみたい。あれだけ潔く桜を伐採したにも関わらず、みんなはその案に縋ったんだ。なんと、伐採された桜の木枝には、新芽が萌え始めていたの。驚異の生命力に、みんながびっくり仰天。それらを丁寧に切り取り、川沿いに植えたら……」

老女は穏やかな眼差しで桜を見つめた。ももちゃんは思わず感嘆した。

「すごい……それで、今でもあんな風に桜が咲き誇ってるんですね」

「一度は人々から忌み嫌われ、捨てられた桜。そして、場所を変えて、人々を助けた桜。実は、川沿いに桜を植えたらどうか、と提案した百姓は、私の祖父なのよ」

「え!すごい!!」

ももちゃんは驚いて老女を見つめた。

「春になると美しい桜をみながら商売が出来たのは、祖父のおかげ。桜捨町の逞しい桜にあやかりたくて、散ったばかりの桜を丁寧に洗い、乾燥させ、塩漬けにするのが楽しくなっちゃってねぇ。毎年沢山作り過ぎちゃうの。お客様が飲まれたお茶の中にはいっているものがそうです」

「わぁぁ、これ、奇蹟の桜ですね!桜の塩漬け、私、欲しいんですけれど売ってくれませんか?」

そんな経緯があり、串カツろくで「桜酒」が生まれたのである。

「見事に返り咲きした桜に、俺もあやかりたい!てか、桜酒、旨いよー。桜の香り、塩気、そしてコメの甘さが絶妙な味わいだね」

なかちゃんは顔を赤くして桜酒を飲み続ける。

「グラスのなかで、桜がふんわりと花開いて、綺麗。なんだか、お花見してる気分になっちゃった」

なかちゃんの隣りで飲む麻衣も、楽しそうにグラスを傾ける。

「桜を飲みながら酔うって、すごく贅沢だよね……純米酒との相性が最高だね」

「桜の塩漬けをつまみにしても美味しいよ」

「花見と言えば、味噌田楽!ここでは味噌おでんの豆腐だねー」

「桜捨町の桜みたいに、私も打たれ強くなりたーい」

いつの間にやら皆が桜酒を飲んでいる。一夜で桜の塩漬けは無くなってしまった。

翌日、ももちゃんは桜の塩漬けを買うために桜捨町へ向かって颯爽と自転車で駆け抜けていった。

喫茶店へ入る前に、桜の中でうごめく、黄緑色の鳥に目が留まる。

メジロだろうか。鳥はくちばしを動かし、桜の花びらを食べていた。

灰色がかった鳥もいる。あれはヒヨドリか。桜の香りを嗅ぐように首を動かしたあと、花びらをついばんだ。

「桜っておいしいよね」

ももちゃんはひとりごちた。

ここの桜は、特別な力を宿しているかもしれない。

目で見てもよし。肴にしてもよし。酒にして味わうもよし。

灼熱の日差しや、雪の混じる寒風に晒される過酷な時期を経ても、

花を咲かせる期間はほんのわずか。

だからこそ、見た者の琴線に触れるほどの美を放つ。

儚くても、散ってしまう瞬間まで懸命に咲き誇る姿から、

人は生きる強さを見出していくのかもしれない。


捨てられし

輝きもてつ

拾われし

喰ろう桜に

いのちありなむ

歌詠み 所 新二

この物語には、このお酒を。

超特撰純米吟醸「惣花」

桜は見るものでもあり、聴くものでもあると思う。独唱にしんみりしたり、坂道で「ウーイェイ」ってつぶやいたり。満開の下でのキュンとする出来事が、桜ソングと一緒だとどれも美しく蘇るのだ。これは、わずかな時間に全てを注ぐ花の力が、日本中を優しくしてくれるという証拠。
「一人でニヤニヤしていないで、この純米酒、飲んでみて」。串カツろくでは、桜は味わうもの。アテ次第で、しょっぱい思い出が動き出すのも良い。

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