この物語には、このお酒を。
パンチ レモンを入れた麦焼酎のソーダ割り
とりあえず、と頼むメニューにまずいものはない。逆に、今日は味が違うと感じたら、体調を疑う、心の具合を振り返る。ろくで言えば「とりあえずパンチと串かつ3本」が平和な日常のバロメーターのようです。非日常を味わおうとハイボールから始めると、何かが身に降りかかるかも知れませんよ。
作/ 羽月 みゆき
大きく胸の開いたニットワンピース姿で、玲子は麦焼酎のソーダ割りを飲んでいる。
雇われママとして働くスナックが定休日のため、串カツろくで早い時間からゆっくりと晩酌をしていた。
豊満な体つきで色気を漂わせる玲子は、飲むとよく喋り、気さくな雰囲気になる。串カツろくのなかでは、常連客に交じって笑い上戸となる。しかしその日はやけに神妙な顔つきだった。
「ねぇ。みんなに聞いてほしい話があるんだけど……」
そう口火をきった玲子に対して、店中の人間が興味津々といった表情をした。
玲子の話はこのようなものだった。
彼女が働くスナックのオーナーは、玲子の彼氏で、しんちゃんという愛称で呼ばれている。
しんちゃんには兄がいて、彼に起きた現象が事の始まりである。その兄をここでは「Y」と呼ぼう。
Yが若い頃。古本屋で本を探している最中、棚から紙きれが落ちてきた。
そこには、メモ書きのような感じで、こんな内容が記されていた。
『山小屋で5,6人のメンバーで宴会をした夜、外は吹雪であった。
皆が寝静まったあと、小屋の扉を叩く音が聞こえた。
メンバーの一人が目を覚まし、扉を開けた途端、何者かに首を斬られた。
その後、メンバーは次々に襲われたが、一人だけが逃げ切れた。』
何だこれは———
Yはその紙を凝視する。持つ手が勝手に震えだした。
これって……、すごくやばいことが書いてあるのでは……。
Yはその紙を拾ったことを後悔したが、すでに遅かった。
ひとまず、店主のもとへ持っていこう――――
Yは不安げな表情のまま、店主に紙を差し出した。
店主は、ボサボサの頭に丸眼鏡という出で立ちの、年齢不詳な男性である。
「あの……この紙が棚から落ちてきたんですけど」
紙を見た店主は眉間に皺を寄せる。そして、ああ、と小声で呟いた。
「それ、ずっと探してたんだよ」
どことなく不機嫌そうな声で店主は言った。その後は無言になり、取り付く島もないような
雰囲気になった。Yは、店主の態度を不審に思ったが、なにより紙に書かれていることの真相が気になり、店主に訊ねた。
「その紙に書かれていることって、何かの事件ですか?」
「うーん、まぁ、そうだな」
店主は歯切れ悪く答える。
「実際に起きたんですか?」
「あのさ。あんまり知らないほうがいいよ」
店主は語ることを避けようとしている。Yは興味が膨らむが、店主に逆らって聞き出すことにも抵抗がある。その場を去ろうとするが、どうしてもひとつだけ気になることがあった。
「あの……、その紙に書いてる『一人だけが逃げ切れた』って。この一人はもしかして……」
店主は射るような鋭い目線でYを見つめた
「お察しのとおり、私のことだよ」
「………」
「その紙は私が書いたんだよ」
Yは怖くなって、すぐに逃げ出したい衝動に駆られた。
だけど足が竦んで動けない。
「このこと、他では話さないほうがいいよ」
店主は、どこか不穏な笑みを携えながら言った。
Yは、その古本屋に訪れたことをひどく後悔した。
当時、Yは六畳一間の古い木造アパートで一人暮らしをしていた。
その日の夜は、ガラス窓が揺れるくらいの強風が吹き荒れていた。
寒気がYを襲い、布団のなかで身震いをしていた。
隙間風が部屋を通り抜け、建付けの悪い襖がガタガタと揺れる音がした。
Yはなかなか寝付けなかった。時計を見ると、午前1時を過ぎたところだ。
ニャアァ……と、猫の鳴き声が外から聞こえた。その声はさらに重なり、2,3匹の猫が盛っているような、しゃがれた声が部屋に届く。Yはますます目が冴えて、枕に深く顔を埋めた。
その時だった。
ドン……ドン……ドン……
Yの耳に、扉を叩く音が聞こえた。
ドン……ドン……ドン……
音はさらに大きくなっている。
Yは、こんな夜中に誰が来るんだろうと、訝しく思いながら、扉に近づく。
「どちらさまですか?」
Yが扉に向かって訊ねても、何も返事はない。
しばらくたつと、また、ドン…ドン…ドン…、と扉は叩かれた。
Yは不審に感じるが、いつまでもノックされてはたまらないと思い、恐る恐る扉を開けた。
扉を開けたものの、誰もいない。
しかし、次の瞬間だった。
バンッ!!
Yは何者かに襲われた。
体をぶたれ、その場に倒れ込む。
そのままYは朝まで気を失ってしまった。
目が覚めたYはあたりを見回すが、部屋が荒らされた形跡はなかった。
「しんちゃんがね、いきりなりこんな話をしてきたのよ」
語り終えた玲子は、ふぅと溜息をつきながら焼酎をあおる。
店内は静まり返っている。
「それでね、本当に話したいことはここからなのよ」
玲子はいつになく真剣な表情だ。
「しんちゃんからYの話を聞いた後、彼の部屋で一緒にご飯を食べていたの、そしたら……」
(しんちゃんの部屋にて)
ドン……ドン……ドン……
「あれ?なにか音がしなかった?」
しんちゃんが、きょときょろを視線を動かしながら呟く。
「やだー。やめてよ。怖がらせないでよね」
玲子は最初のうちは笑っていたが、音は次第に大きくなる。
ドン…ドン…ドン……
「え……うそでしょ?」
「そんなバカな……」
「ちょっと、いやだ。これって、あの話の……」
二人は、不思議な状態に置かれている自分たちに混乱した。
「私もしんちゃんもびっくりして。怖くて扉を開けなかったわ。その日も、今日みたいに風がとても強い日で……」
玲子が店を見回すと、皆、迷惑そうな顔をしている。
「……玲子さん、それさぁ……」。
「もしかして、話を聞いた日に、何かが起きるの?」
「よくわからないけれど、そうなのよ」
玲子が眉間に皺を寄せ、怯えた様子で応える。
店内は途端にざわつく。
「うわ……、やばすぎる」
「俺ら、この話を聞いたってことは、もしかして、今夜……」
「夜、眠れないじゃん!」
皆、口々に混乱をあらわにした。
玲子は、取り繕うように語りだした。
「解決策としては、扉を開けっ放しにしておくか、ノックされても自分から開けなければいいんじゃないかな」
えー、そんなこと言われても―、と皆は不満げな表情だ。
「玲子さん、なんでこんな話したんだよー」
「聞かなければよかったー」
場の空気はさらによどみ始めた。
「こんな怖い話を聞いた夜はさー、みんなで飲もうよ」
なかちゃんが瓶ビールを皆のグラスに注ぎ始めた。
しかし、その手はかすかに震えている。
まるで小動物が寄り添い合うように、皆は肩が触れるくらいの距離で飲み始めた。
「あれ、そういえば麻衣ちゃんどうした?」
「トイレじゃないかな。ちょっと長くない?」
お客の一人がそう言い、麻衣ちゃん、大丈夫―?とトイレに向かって呼びかけた。
すると、麻衣の声がトイレから聞こえた。
「誰か、トイレのドア、ノックしたでしょ?もう!怖がらせないでよ!」
「え?みんな飲んでて、麻衣ちゃんがトイレ入っていたことに気づいてなかったよー」
なかちゃんが大きな声で応えた。
「噓でしょ?今もノックの音が聞こえるし!」
麻衣の返事を聞き、皆がひぇー!と叫ぶ。
「え!誰もノックしてないよ!」
「でも聞こえるのよ!ノックの音が!嘘じゃないってー」
店内は騒然となる。
「わたし、自分からドア開けられないよー!お願いだから誰か開けてー!」
麻衣の、恐怖におののく叫びが店内を震わせた。
「えー、どうしよう!」
「怖いよー!」
「襲われたらいやだよー!」
その夜、皆の騒ぎは一向に静まらなかった。
この物語には、このお酒を。
とりあえず、と頼むメニューにまずいものはない。逆に、今日は味が違うと感じたら、体調を疑う、心の具合を振り返る。ろくで言えば「とりあえずパンチと串かつ3本」が平和な日常のバロメーターのようです。非日常を味わおうとハイボールから始めると、何かが身に降りかかるかも知れませんよ。
コメント