拳は力の象徴だ。頬を打てば自分に付いてくる、と妄想する大統領がいる。天に向けて掲げたら、人を導けると信じる“神”もいる。でも、偉い人や神の陰には、拳を振るわせて涙する人もいるということを忘れちゃいけない。先生だって、その一人だったはず。目指すのは楽園じゃなく、心地よいパンチで正気に戻してくれるロクだ。
昭和60年頃、初夏。
「あんなもの、なけりゃいいのに……。
僕はホエール団のカードを恨めしく思い出す。鎧を身に付けた、クジラのヒーローたち。僕のクジラは、どれもピンクか白だ。なにがホエール団だ。あいつらのせいで、こんな仕打ちをうけるなんて……。背中と両肩に背負わされた黒いランドセルは、6個だろうか。あまりの重さに、足が進まない。
「おーい。松平、遅いぞー」
ボス猿・飯島の横にくっついている柳原が振り返り、ニヤニヤと笑いながら僕を見てくる。
いい気になりやがって。なんで柳原のカードは、いつも赤や金色ばかりなんだ。
目的地の公園につき、皆がベンチの周りで僕を待っていた。僕はベンチの上に、6個分のランドセルを降ろそうとした。
「誰が降ろせと言った?」
飯島がどすのきいた声で言う。
「白いクジラは見張り役だろう?公園の周りに悪い奴がいないか、見回りに行って来いよ」
「ランドセルは鎧になるから、取っちゃいけないんだよー」
皆に言われ、僕は再び重い足を引きずり始めた。
アニメ「ホエール団の航海」が大流行したことに伴い、ホエールチョコレートも爆発的に売れた。僕らの目的は、お菓子よりも付録のカードだ。一番強いのが金。次いで、赤、青、緑だ。黄色、ピンク、白は弱いクジラになる。みんな、小遣いからホエールチョコを買えるようにやりくりしていた。やがて男子同士でカードを見せ合うようになり、教室内では、クジラの色で、その本人の強弱のレッテルを貼るようになっていた。飯島はカードの強さで仲間を選ぶようになり、僕のように弱いカードばかりの奴には、接し方が乱暴になっていった。
「ただいま……」
皆のランドセルのせいでフラフラになった僕は家の玄関で雑に靴を脱ぐ。そのとき、父ちゃんの靴を見て、慌てて自分の部屋に入った。しまった。今日はもう帰ってるんだ。
「おい!なんだこの靴に脱ぎ方は!」
父ちゃんは怒声を出しながら僕の部屋に入るなり、靴を投げ飛ばしてきた
「靴の並べ方も知らないような、礼儀知らずに育てた覚えはないぞ!!」
「ごめんなさい……」
そう言って、僕は慌てて靴を拾い、玄関へ並べに行く。父ちゃんは居間のソファに座り、一升瓶から何度も酒を注いでは飲み続け、舌打ち交じりに喋る。
「畜生。なんで赤に来ないんだよ。なにがホワイトだ。ふにゃけた、女みたいな色のボートが。なめやがって……」
呂律の回らない声で、父ちゃんはひとり言を呟く。競艇で負けると、父ちゃんは周りに当たり散らす。だから僕は、父ちゃんが昼の早い時間に家にいるときは身を縮こませていた。母ちゃんは、パートの時間が長くなって、夜まで帰ってこない。最近の母ちゃんは帰宅するとため息ばかりをつきながら、とても疲れた顔で夕飯を食べていた。
「赤が最強なんだよ、世の中、そういうものだ。3号艇の情熱の赤!なのによぅ。なぁんで俺のとこに来ねぇんだ」
呪詛のような言葉が家に蔓延する。
どいつもこいつも赤だのなんだの。色なんかに振り回されて、ふざけんな―――。
僕は布団の上でうつ伏せになり、あらゆる色に対して怒りをぶつけていた。
翌朝。目が覚めたら全身が怠かった。食欲は無く、頭がぼうっとしていた。
「熱があるわね。学校に連絡しておくから、横になってなさい。冷蔵庫のなかのもの、適当に食べてね。あと、ここにお金おいとくから、なんかあったら使いなさい」
母ちゃんはそう言って、慌ただしく家を出ていった。昨日の全身の痛みのせいで熱が出たのかもしれない。幸い、父ちゃんは家におらず、僕は昼までぐっすり眠ることが出来た。
夕方近くにはすっかり回復し、母ちゃんからもらった小遣いでアイスクリームを買いに行こうと出かけた。帰宅中の飯島たちに会わないよう、注意を払いながら道を歩く。近所のスーパーに入ると、聞き覚えのある声が耳に入った。
「ねぇママ……。僕、ホエールチョコで赤や金が出ないと、いじめられるんだ。だからお願いだよぅ」
菓子売り場の前で駄々をこねる少年……それは柳原だった。その隣には身綺麗な格好をした女性がいた。
「ゆうくん、それはいけないね。ママが買ってあげるからね」
そう言って、柳原の母親らしき女性は店員を呼び、ホエールチョコの在庫すべてを購入したいと告げた。
「自宅まで配送していただけるかしら」
慣れた口調で店員に言う母親の横で、柳原は満面の笑みを浮かべていた。
その時だった。唖然として親子を見ている僕と、柳原の目が合った。
柳原の顔はこわばり、魚のように口をパクパクと動かしていた。
僕はすぐに目を逸らし、その場を去った。
「ピンクのクジラはナースだろう?この痣、診てくれよー」
そう言って、僕の目の前に飯島の太い腕が出される。どこかでぶつけたのか、青痣がうっすらと浮かんでいた。僕がその様子を凝視すると、拳が上がり、僕の顎を直撃した。
「やべー。腕が勝手に動くんだよー。これも何かの病気ですかねー。」
不意にアッパーを喰らった僕は、痛みでしゃがみ込む。他の奴らは、その様子を笑って見ていた。放課後の教室は担任も女子生徒もいなくて、飯島の取り巻きだけが残っていた。飯島のすぐうしろには柳原がいた。今日の彼は、僕と目を合わせようとしない。
「どうしたピンク。そんなんじゃナースに……」
「僕、昨日見たんだ」
僕は飯島の言葉を遮って喋り始めた。
「昨日、スーパーに行ったら、柳原が親にホエールチョコをねだっているところを……」
「え……、スーパーで?」
全員が柳原を見た。柳原は、気まずそうに眼を逸らした。
「驚いたよ。親にこう言って泣きつくんだぜ。『ママ、赤か金が出ないといじめられちゃうよぅ』って」
「俺、そんなこと言ってないって!」
柳原は顔を赤くして反論した。
「嘘つくなよ。なぜ柳原がいつも強いカード持っているか、よくわかったよ。親がスーパーのホエールチョコを買い占めてるんだ!」
「おい、それ本当なのか?」
飯島は驚いた様子で僕と柳原を交互に見る。
「うそだよ!全部でたらめだ!松平は、いつも弱いカードばかりだから、俺のこと妬んでるんだよ。だから作り話を作ったんだ!」
今にも泣きそうな顔で柳原は反論する。
「……そういえば、俺も、以前からおかしいなって思ってたんだ。なんで柳原だけ強いカードばかりなんだろうって」
取り巻きの1人がそう言うと、周りも頷き始めた。
「松平の話が本当だったら、俺ら、騙されていたことになるよ」
その日を境に、空気が一変した。
柳原は、飯島たちから「卑怯者」と罵られ、いじめのターゲットとなった。
もともと気の弱い柳原は、よく殴られて、泣いた。彼の泣き顔は、まるで梅干を食べたかのように目を細め、口をぎゅっとすぼめる。その度にいじめは加速していく。
僕は、飯島たちのグループに時々入れてもらえるくらいの距離感を保ちながら、教室内の様子を傍観していた。
やがて、柳原は学校に来なくなった。
夏休みが過ぎても、学年が変わっても姿を現さず、そのまま柳原の存在は皆の意識のなかから消えていった。そして、あんなに皆を虜にしたホエール団のカードも、いつの間にか興味を失せられていった。
「きみ、松平君だよね?」
俺が軽トラのなかでシロップの瓶詰めしているときに、初老の男性が声をかけてきた。
柔和な笑みをする、優しそうな紳士だ。しかし、俺は身に覚えがない。
「は……はい。あの、すんません、どこかでお会いしましたっけ?」
「そりゃ分からなくて当然だよ。だって君がまだ小学生の頃だったからねぇ。私が視力健診でこの辺りの小学校を回っていたのは」
「し、視力健診?」
「うん。周りからは『目の先生』って言われていたんだ。時々、目の健康について、体育館でお話もしたんだよ」
目の先生……。そういえば、そんな人がいたような。
「あの……なんで俺のこと分かったんすか?はっきり言って、特徴のないガキだったし」
「私はね、一度目を診た子どものことは、ちゃんと覚えてるんですよ」
ゆっくりと語る男性の台詞には、妙な説得力があった。
「そしてきみは、かき氷屋になったんですね」
男性は、軽トラを見回しながら言う。
「いや……。ただのテキ屋っす。就職しても、仕事、続かなくて。なんとなくかき氷、始めたんですけれど。鳴かず飛ばずで」
俺は、自分の過去を語ることが嫌だった。何をやっても中途半端で、夢中になれることが見つからなかった。流されるように生きてきて、気づいたら三十路だ。
「ほぅ。それはいけない。なにか方法を考えなくては……」
男性は両腕を組んで考え始めた。
眼科医が、かき氷を売る方法なんて、分かるはずないじゃないか―――。
俺は、その男性の相手をすることが面倒くさくなってきた。
男性は突然、パッと顔を上げて、自信満々に言った。
「ねぇ。お客のかき氷のシロップなんですけれど、あなたが決めるってどうですか?」
それから、先生と俺の二人三脚の日々が始まった。
『お客の顔を見て、シロップを決める。そうすれば、必ずお客は増える。是非やってみて欲しい』
俺は半信半疑だったが、やってみたら、結果は当たりだった。色占いをするかき氷屋、という口コミが広がり、売り上げはうなぎ登りとなった。
「すごいっすね。俺、何にも言ってないのに、シロップの色を見ただけで、人って簡単に『これが私の色』って信じ込むんだから。単純だよな」
「色の力は偉大です。人を操ることが出来る。色には魔物が潜んでいるんです」
いつになく先生が神妙な声音で語った。
「ねぇ、松平君。今までの人生を挽回したいと思わないかい?」
「そりゃあ、ねぇ……。こんないい加減な生き方してきたから、一発当てたいっすね。でも、どうやって?」
「色を使って、『あなたを幸福にする』と謳うんです。誰もが迷える子羊です。誰かが手を差し伸べれば、簡単に人はすがりつきます」
「俺、そんな教祖みたいなことやれねぇし」
「大丈夫。私が付いていますから。まずは私の言うことを信じてください」
いいですか?今から大切なことを言います。
みんな、自分のカラーを知りたいんです。どうやったら自分らしく生きて行けるか。それを示唆すればいいんです。人間は愚かで未熟です。誰かに寄り添いたいと願う生き物です。ならば、その特性を利用すればいい。我々の力で一人でも多くの人間が幸せを感じたのならば、何も間違ってはいない。罪の意識など感じなくていい。我々は、回りまわって、善いことをしているのだから―――
そして、俺は、動き始めた。
円形のドーム内で、ファミリーたちが踊り、歌う。
地割れするような轟音に包まれ、私と先生は恍惚となる。
ふと隣にいる先生の横顔を見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。
眉間に皺を寄せながら目を細め、口元をぎゅっとすぼめる。
その顔をみると、私は強烈な既視感を覚えた。その正体が何なのか、未だに分からない。
「先生……。先生の名前、まだ教えてくれないんですか?」
私は彼に訊ねた。
「何度も言ったはずです。名前なんて、ただの記号です。そこに精神は宿らない」
先生は白髪を掻き分けながら、いつもの答えを言う。
私の周りには、赤、青、緑、黄色、ピンク、紫が溢れている。それは混じり合い、いつしか環を作る。
そう。私も名前を捨てた。私は生まれ変わったのだ。なのに、まだ胸の裡でしこりになっているなにかがある。これはなんなのだろう?
「見てください……。あなたの力で、こんなにも多くの人が幸せになっている」
先生の厳かな声が届く。
そう。私は間違ってはいないはずだ。
この美しい色の世界を築き、皆を楽園へ導いたのだから。
先ほど抱いた、一抹の不安は霧散した。 私はファミリーたちに向かって両腕を上げ、親愛のサインを送った。
この秋冬の流行色は、静かなナチュラルカラーと、アクセントになるドラマチックカラー。ネットや女性誌で拡散した情報は、やがてコーディネートのトレンドになっていく。では、この色は誰がいつ決めているのか。どうも自然発生的に、ではなさそうだ。発表される約2年前、世界の専門家たちが集まって選定し、各国に伝えられるらしい。采配を振るう人がいるから、お菓子の色だって意味と価値を持つ。この物語にも、そんな人の姿がちらほら見えてきた。
「中川さーん!カラフルな格好をした人たちが来てるんですけど……」
「カ、カラフル?」
なかちゃんは勤務先のラジオ局の一室で、受付嬢からの内線電話に対して首を捻る。
「なかちゃんに会いたいって。さっきからそればかり言ってるんですよ」
困った口調から、ただ事ではない気がした。なかちゃんは急いで受付まで走った。
赤や黄や緑といった服装の集団が見えたとき、嫌な予感がした。
まさか……ニコニコレンジャー?
「あ!なかちゃん!ぼくたち来ちゃいましたー!」
赤シャツが嬉しそうに言う。
「えっと……何しに来たの?」
なかちゃんは半ば呆然としながら訊ねる。
「えー!なかちゃん、こないだ串カツろくで言ったこと、覚えていないんですか?ラジオ局で僕らが喋ると面白そうだって!」
「だから私たち、気合い入れて来ました!」
黄色のバンダナを巻いた女性が加勢する。
「ええっと……、そうだったっけ?」
なかちゃんは、こりゃまずいことになったな、と胸の裡でつぶやく。
「あのときは酔っぱらってて……。ごめんなさい。僕、よく覚えてないんですよ。いきなりラジオに出演してもらうのは、ちょっと……」
苦し紛れに言いよどむなかちゃんの肩を、背後からぽんぽんと叩く人がいた。
「中川君。この方たち、面白そうじゃない。このド派手な感じ。アドリブ効かせながら、早速出演してもらったら?」
初老の男性が楽しそうに皆を見る。たまたま通りかかったラジオ局の局長だった。
「ありがとうございます!僕たち、精一杯楽しくします!」
なかちゃんの返事を待たずして、ニコニコレンジャーは威勢よく応えた。
『みなさーん、こんにちは!‘ナカちゃんのあふた~ぬ~ん’の時間です!みんな、夏バテしてませんか?今日は、そんな暑さも吹き飛ばすくらいの、超パワフルなゲストに来てもらいました!赤、青、黄色、そして緑にピンクをまとったニコニコ……じゃなかった。えーっと……』
『ハッピーハウスからやってきました、ファミリーです!』
『ファミリーの皆さんです。えっと、彼らとは、僕の行きつけの串カツ屋で知り合ったんだけど、なんかね、すごくパワフルなの。いつも笑顔で、幸せ~って表情なの。そして目を引くのはこの服!みんな、原色大百科みたいなの。どうしてファミリーのみんなは原色を着ているの?』
『僕たちは、色からパワーをもらって生きています。色の力で、全ての人が幸せになれるんです』
『色の力か。なるほど。赤や黄色といったカラーは、どうやって決めたの?』
『僕らのファザーが決めてくれました!ファザーは、ファミリー全員の幸せを叶えてくれる存在なんです』
『ファ、ファザーね。先ほど言っていた、ハッピーハウスってところの人かな?』
『そうです!ファザーの力は偉大です。大きな愛でぼくらを包みながら、幸せの道へ導いてくれますから。いつもファザーは説いてくれます。どんな時でも、ハッピーハッピー♪と歌えば、必ず幸せが歩み寄ってくれる、と。だから僕らは歌い続けます。
ハッピーハッピーハッピーハウス♪
どんなときでもハッピータイム♪
ハッピーカラーでハッピーハッピー♪
さぁ、なかちゃんも歌ってください!』
『え……ちょっと僕は……』
『いいからいいから。歌っているうちに幸せを感じますよ。リスナーの皆さんも、一緒に歌ってください!
ハッピーハッピーハッピーハウス♪
どんなときでもハッピータイム♪』
『ファミリーのみなさん、総立ちになりました……。今、彼らは手を取り合って、歌いながらぐるぐると回っています……』
『ハッピーハッピーハッピーハウス♪
ハッピーハッピーハッピータイム♪
ラジオに乗せて、ハッピーオンエアー♪』
『えーっと……、ファミリーの皆さん、そろそろ時間です!!』
『ハッピーラジオでハッピーハッピー♪
ハッピートークでハッピーハッピー♪』
『ナカちゃんのあふた~ぬ~ん、一旦、終わります!!』
薄暗い部屋のなかで、ラジオの音声が響き渡る。
やがて、覆面の男はラジオの電源を切った。
「ふぅ……」
溜息ともとれるような声が、虚空を泳ぐ。
「なんだか、浮かない顔ですね」
白髪の男が、覆面に対して声をかけた。
「ねぇ……。彼は、『例の店』の常連なんですよね?」
覆面はラジオを見つめたまま問うた。
「はい……そうです」
「あの反応の薄さはどうしてでしょう?まったくノッていない」
「……すみません。私の努力が足りていない結果です」
白髪の男は申し訳なさそうに頭を垂れた。
「ハウス内で『例の店』を広めたばかりですし、私たちの新たな拠点として、より根付いてほしいところです」
覆面の小さな穴から覗く瞳が、かっと大きく見開いた。
「はい。一層力を入れて広めていきます」
串カツろくでは、柳原の周りを女性客が囲んでいた。
「麻衣ちゃんは巻き肩だから、イエローだね」
柳原にそう言われた麻衣はきょとんとする。
「えー。巻き肩と黄色って関係あるんですか?」
「イエローはね、金運だけじゃないんです。曲がったもの真っ直ぐに正す、という意味合いがあるんです。だから、いつもイエローのものを身につけるといいですよ」
「柳原さんに言われると、なんだか説得力あります」
麻衣は早速スマホを触り、ショッピングサイトで「黄色・夏服」の検索を始めた。
「柳原さん、私は何色ですか?」
玲子が興味津々な表情で訊ねた。
「玲子さんは口元の右下にほくろがあるでしょう?これは、太陽の隣りにある木星を表しています。木星といえば、その名の通り『木』。玲子さんは緑を身につけることによって、運気は上昇します」
「わたし、このほくろ嫌いなんですよ。切除しようかなって思ってるくらいに……」
「そんなことをしてはいけません。口元のほくろと緑の相乗効果で、玲子さんは驚くほど強運の持ち主になるでしょう」
「じゃあ、緑のものを身につけるわ!」
柳原たちのやり取りを、カウンター越しにロクとももちゃんは見ていた。
「ねぇ、ロクちゃん。最近柳原さんのテンション高いよね」
「そうだね。柳原さんのカラー診断、女子ウケいいし」
実際、柳原のカラー診断を楽しみにしてやってくるお客が増えていた。
「そんなことより、ロクちゃん。最近赤ワインにハマったの?」
「え……なんで?」
「気づいたら、店の赤ワインの種類が増えてるし。ロクちゃんいつもちびちび飲んでるから」
そう言って、ロクの手元にある、小さなワイングラスを指した。グラスには少量の赤ワインが入っている。
「うん……。最近、なんとなく美味しいなぁって思えてね」
「それに、そのリストバンドも赤だし……」
ロクの右腕には赤のバンドがつけられていた。
「これはね、一目見てかっこいいいなって思って衝動買いしたんだ。仕事中、これをつけていると、気が引き締まる感じがするんだよ」
ロクは少し照れくさそうに説明した。
閉店時間の間際。柳原は串かつろくを出ると、辺りをきょろきょろを見回す。
「パパ……待ってたよ」
存在感のある腹を突き出した、中年男性が電柱から姿を現した。
「遅くなってごめんよ。さぁ、帰ろう」
「ねぇパパ。僕、お腹すいた……」
中年男性は甘えた声を出す。
「おぉ。それはいけない。駅前のラーメン屋にでも行こうか?」
「コンビニで売ってる『がってん舎らーめん』が欲しい!今ね、期間限定で金色のパッケージなんだ!」
「金色はおまえの大好きな色だね。よしよし、じゃあコンビニ行こう」
「それとね、レッドホットチキンも!」
「わかったよ。金色と赤は最強のコンビだね」
「うん。無敵の組み合わせだから誰にも負けない!」
うさぎのようにぴょんとぴょんと跳ねながら歩く男を、瘦身の柳原は追うように夜道を歩いて行った。
たぎる「炎」は、10代のために。「火」遊びは、いまが盛りの大人のために。だったら、「灯火」は誰が何をするときに似合う明かりか。夜の高瀬川を灯火のように照らす月光で、静寂を演出したのは森鷗外。渋い大人が、音を消して来し方に思いを馳せる。そんな“しん”とした夜に、蝋燭は似合う。今年もお盆がやってくる。
常連客の英樹は、串カツろくを訪れるなり鞄からビニール製の小袋をいくつか取り出した。
そして、店の中の皆に「これ、どうぞ」と言って配り始める。
「英樹君、どうしたの?」
なかちゃんは不思議そうな顔で小袋を見る。中には、クッキーとローソクが入っていた。
「僕の地元。北海道では、1か月遅れの今日、8月7日が七夕なんです。向こうでは、子どもたちに、ローソクとお菓子を配ることが習わしになっているんです。『ローソクもらい』って言うんですけれど、僕、子どもの頃にいろんな人からローソクとお菓子をもらっていて……なんか急に思い出しちゃって、自分がやってみたくなったんです」
「へぇ。北海道はそんな伝統があるんだね。ローソクもらいって、なんだかハロウィンみたいで面白いね」
なかちゃんは興味深そうに頷いた。
「でも、なんでローソクなの?」
隣で話を聞いていた麻衣が英樹に訊ねた。
「寒さが厳しい北海道では、ローソクの灯のぬくもりは、『神からの恵み』とされていたんです。願い事を書く、という七夕本来の風習に加えて、『寒い冬を乗り越えられますように』という風土特有の願いが込められていたんでしょうね」
英樹が、故郷を懐かしむような表情を浮かべて説明をした。
それを聞いていたももちゃんが、カウンター内でそわそわし始めた。
「ねぇ。英樹さんがくれたローソク、せっかくだから灯して見ない?店の明かりを少し落としてさ」
「うん。それ、いいかも。小皿を用意するから、それでみんなのローソクを灯そう」
ロクも賛同した。小皿に、各々のローソクのロウを少し溶かして固定し、火を点ける。
ローソクの灯が店のなかで揺らめき、とたんに幻想的になった。
「ローソクのあかりっていいねぇ。なんだか、心に沁みるね」
「見ているだけで、なんだか落ち着くよ」
「神様からの恵みって意味を知ると、あたたかな気持ちになるね」
いつもと違う串カツろくの風情に、皆がうっとりとした。
「せっかくだからさ、北海道の七夕にちなんで、願い事書かない?短冊が無いから、箸袋の裏に書いてさ」
麻衣が楽しそうに提案した。
「でも笹の葉がないよ?」
「そこにある福助人形が座っている大きな座布団に並べるってのはどう?」
麻衣は店内に置いてある福助人形に目を留めた。福助の両隣には、ロクとももちゃんが立てかけたローソクが揺れめいていて、いつになく神々しいオーラを放っている。座布団は、人形の大きさに対して、かなり余裕があった。
「え……。福助ですか?使っていいんですかね」
麻衣の提案に、英樹は思わず苦笑した。
「いいんじゃない?福助も願いを叶えてくれるひとだと言われているし。今夜くらい、許してくれるでしょう」
なかちゃんの一声で、皆が賛成した。
店のみんながそれぞれ箸袋に願い事を書いて、福助人形の座布団に並べた直後だった。
「あれ……誰か扉開けた?」
お客のひとりが店の入り口のほうを見ながら言った。開いた扉から、生温かい夏の夜風が入り込んでいた。
「えー。開けてないよ」と、皆が首をかしげながら応える。
誰かが入って来た形跡もなく、ロクは不思議に思いながら扉を閉めた。
ロクはその後、福助人形を見つめる。黄色の座布団の上に朱色の箸袋が並ぶと、福助の表情が心なしか華やかに見えた。福助の青い着物と相まって、色彩の鮮やかさに目を奪われているとき、ロクはなにかを感じた。
「あれ?」
そう呟いたあと、その違和感の正体を探ろうとして、じっと座布団を見つめる。
店の中には、ロクとももちゃんを含めて10名しかいない。
なのに、箸袋は11枚置いてある。
「誰か、願い事を2枚分書いた?」
ロクが訊ねても、皆、首を振る。
不思議に思ったロクとももちゃんは、思わず皆の願い事に目を向けた。
『痛風になりませんように』
『宝くじが当たりますように』
『良縁に恵まれますように』
『子どもが志望校に合格しますように』
『今年こそダイエット成功しますように』
どれも、思い思いの願い事が綴られていた。
やがて、紙袋の上の文字が、明るく見えたり暗く見えたりするようになる。
「あれ、どうしたのかな……」
ロクは周りを見回した。
すると、福助の横に添えられたローソクだけが、揺らめいている。
他のローソクは静止したままだ。
「え……なにこれ……ローソクが勝手に動いてる」
ももちゃんは驚いて、言葉が続かない。
「店の中は風が無いのに……どうしたんだろう」
「まるで誰かが、動いているみたいだ」
皆がきょろきょろと店の中を見渡すが、店内は少し暗くしただけの、いつもの串カツろくのままだった。皆は、揺らめくローソクを見ているうちに口数が減り、静かになっていった。
なかには、うっとりとした目でローソクを見る人もいれば、口元に笑みをたずさえる人もいる。どこか夢見心地な空気が流れるなか、英樹は何かを思い出したように、神妙な顔つきで語りだした。
「そういえば……8月7日の夜は、不思議なことが起こるって聞いたことがあります。これも北海道の言い伝えですが、何が起きるかは、定かじゃないんです……」
「じゃあ……今夜は何が起きてもおかしくないんだ……」
なかちゃんは目を細めながらローソクの揺れを見つめる。
「なんだか穏やかな気分になるね」
店の中の誰かが言うと、皆が頷いた。
「恵みのローソクが、まるで僕らのために踊っているみたいだ」
そんな台詞が入り混じるなか、ロクは福助人形の座布団を再び眺めた。
箸袋は列をなして並べられているが、そのなかのひとつの箸袋がロクの目に留まった。
『破顔一笑』
思わずその箸袋を見つめる。美しい筆跡で書かれていた。
やがて福助に目を向けると、口元がニッと笑った。
「え……」
ロクは驚いた。それは一瞬の出来事で、福助はすぐにもとの表情に戻った。
「ロクちゃーん、串カツ10本ね!」
静謐な時間が流れたのも束の間。やがていつもの活気が舞い戻った。
「はい!ありがとうございます!」
ロクは威勢よく応えた。その後も注文は続き、ロクとももちゃんは大忙しだ。
「北海道の夏は短いんです」
英樹がおもむろに呟いた。その声を聞いたロクは、手を動かしながらも話の続きを聞きたくて、より慎重に作業をする。
「8月に入って、夏本番の暑さを感じるのも束の間。盆を過ぎると急に涼しくなるんです。だから、海水浴にプール、キャンプ、川遊びとか、そういう夏の思い出を作ることが尊くて……」
英樹は昔の情景に思いを馳せるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「だから、『七夕の夜』も特別なんです。浴衣を着て、ローソクをもらって。家でもお祭りの延長のような雰囲気で、ワクワクする夜。この店のなかにいて、その時間を思い出しました」
英樹は目尻を下げながら、店内を見回す。
ロクは北海道の夏を想像する。短いゆえに、太陽の眩しさや、花火の香りや、汗を乾かしていく夜風の心地よさが、きらりと光る結晶となる瞬間を。
「今夜は英樹さんのローソクが灯っているから、特別なのかも……」
ロクがそう言うと、英樹は「ちがいますよ」と言いながら美味しそうにビールを飲む。
「僕、以前からこの店には『みんなが笑顔になる魔法』がかかっていると思ってたんです。純粋で、無邪気で……。飾らない自分に戻れるというか。それは、僕にとっての、夏の思い出みたいな……。地元から遠く離れても、童心に戻れるような場所に出会えて、すごく、幸せです」
ロクは英樹の言葉を噛みしめると、胸の裡に温かなものが広がった。
店内は、皆の明るい声と、盃を交わす音が交わり、夏の夜を鮮やかにしていく。
ロクは改めて、この場所がローソクの灯のように、明るくて、優しいぬくもりに包まれていると感じた。
名古屋では1か月遅れの七夕。
みんなの願い事が叶いますように、とロクは心のなかで唱えた。
「真夜中に書いたラブレターは成就しない」という説がある。理性を司る脳みその一部分が、昼間の疲れで機能低下に。そのせいで「美しい。まるで薔薇のようだ」みたいな、もらった女性が引く言葉を平気で書いたりするからだ。思い当たる節があれば、まずは頭やカラダを冷やすこと。文字通り冷静になるには、ちゃんと自分でオーダーして、格別のかき氷を召し上がれ!ロクさん。
ロクは串カツが200本入った番重を抱えて、巨大な建物を見上げる。
それは円形のドーム型で、周りは樹木で覆われている。ドームに窓はなく、無機的な雰囲気が漂っていた。入口付近へ行くと小さな看板があり、「ハッピーハウス」と書かれてあった。
恐る恐るなかへ入ると、受付の人が満面の笑みで迎えてくれた。
「串カツのロクさんですね!配達ありがとうございます!すごく楽しみにしてました」
オレンジ色のターバンを巻いた女性が丁寧にお辞儀をする。
「わぁ、いい匂い。これを噛みしめると、どれだけ幸せになれるんだろう」
「ロクさんが丹精込めて揚げてくれた串カツが、僕らのもとに届いた幸運に感謝だね」
いつの間にやらロクは数人に囲まれていた。皆が「幸せ」という言葉を口にしている。
「あの……、そろそろ失礼します」
ロクは足早に帰ろうと、出口に向かったときだった。
「ロクさん!!今日はありがとうございます!」
そう大きな声で叫んだのは、ニコニコレンジャーの1人の赤シャツだった。他のメンバーも揃っている。彼らの姿を見て、ロクは驚いた。
「え……。これって……」
「ロクさん、いきなり注文してすみません。僕たち、どうしてもロクさんの串カツを仲間に食べてもらいたかったんです。それで、ファザーに相談したんです」
「ファ、ファザー?」
「そしたら、是非皆で食べようってことになって……」
ロクは、赤シャツの話が見えなくて、きょろきょろと目を泳がせた。
「こんにちは」
そう言って、赤シャツの背後から現れた男性は、プロレスラーのような覆面を被っていた。体つきはずんぐりとしている。
「私のファミリーが、ロクさんのお店でお世話になっているようで」
ファザーだと思われる男性が深々とお辞儀をするので、ロクは、「いえ、そんな……」と言って頭を掻いた。
「今日は私の家に、ファミリー全員が集まりました。月に一度のホームパーティです。この機会にロクさん、ちょっとみんなの前で挨拶してくれませんか?」
ファザーの突然の提案に、ロクはぎょっとなった。
「え……、ちょっとそれは……」
「大丈夫です。ファミリーは、首を長くしてロクさんの串カツを待ってるんです。ロクさんが目の前にいるだけで、みんな大喜びですから」
「僕、人前で喋ることが苦手なんで……」
「心配しないでください。私の質問に応えてもらうだけでいいですから」
「いや……、ちょっと……、ほんとに無理です」
「ロクさん、僕たちもいます!素晴らしい串カツを生み出した人なんだから、堂々としていてください!」
ニコニコレンジャーや他のファミリーに取り囲まれ、ロクは身動きができなくなった。すでに体中から汗が噴き出していた。
円形のドームの中央にステージがあり、それを取り囲むように席が並ぶ。
煌々とした照明のなか、ロクは周りを見渡す。それは色の洪水だった。
皆が、赤や黄や青や緑といった、原色の色彩を身につけていた。
目がちかちかしてくる。ロクはすぐにでも逃げ出したい気持ちになった。
「今日は、串カツろくの店主、ロクさんにお越しいただきました!みんな、盛大な拍手を!」
ファザーの呼びかけに、ファミリーは一斉拍手をする。耳をつんざくような轟音がドーム内に響き渡った。
「ロクさん。美味しい串カツを作るにあたって、心がけていることは何ですか?」
ファザーの質問に対して、ロクは固まってしまう。
「えっと……。特に心がけとかはないんですけれど。うーん……そうですね、温度調整は気をつけています……」
「油の温度ですか?」
「は、はい……。温度計で測っているわけではないのですが、油の音とか、衣の色づき具合とか、そういうのを気をつけてます」
「素晴らしい。ロクさんは音や視覚、つまり五感を使って串カツを揚げているんですね!
油と豚肉のハーモニーを体で感じながら揚げるって、まさに熟練の技」
「いや……そんな大したことじゃないです」
「ロクさんは、串カツを通して食の幸せを皆さんにお届けしていますが、なにかきっかけがあったんですか?」
「特に理由は無くて……ただ串カツが好きで、食べ歩いているうちに串カツ屋やりたくなっただけで……」
「みなさん、聞きましたか?好き、という純真な動機から、プロの技を極める。これこそ、人間にとって、最も尊いエネルギーではないでしょうか!」
ファザーの声に呼応するように、ファミリーは一斉に拍手をする。
「好きなことを極め、そこで生まれたものが人を幸せにする。素晴らしい循環を、ロクさんが手本として見せてくれました。私たちもロクさんに見習って、好きなもの、好きなカラーとともに、幸せを生み出しましょう!!それこそ、ハッピーライフ」
いつの間にか、ファミリーは総立ちになり、皆、手と手を取って歌い始めた。
ハッピーハッピーハッピーライフ
好きな仕事でハッピーライフ
好きなカラーでハッピーライフ
どんな時でもハッピーハッピー
ハッピーハッピーハッピーライフ
ハッピーハウスでハッピーライフ
鮮やかなカラーがうごめく。歌い、踊り、空間にこだまする。
ロクとファザーを中心にして、ファミリーたちが輪になって歌い続けている。
ロクは眩暈に襲われたが、なんとか脚に力を入れて立つことが出来た。
やがて、ファミリーの1人が花束を持ってステージに上がって来た。
深紅のバラの花束だった。
「ロクさんへ、感謝を込めて。ロクさんのハッピーカラーの赤です。ロクさんもファミリーの1人です。我々と共に、ハッピーハウスで幸せを更に増やしてください!」
ファザーの高らかな声と共に、ファミリー全員が赤いタオルを取り出して振り始めた。
火の玉が泳いでいるみたいだな――――
ロクは朦朧としながら、うごめく赤を見つめ続けた。
「ロクさん、少し疲れてます?」
常連客の1人・眼科医の柳原が、串カツろくのカウンター席から訊ねた。
柳原は高齢だが、現役の開業医として日々治療に専念している。
「あ……、すみません、ちょっとボーっとしてました」
ロクは我に返って、目の前の仕事をこなしていく。
「いえいえ。誰だってボーっとすることはあるんです。それは問題ないんですよ。ロクさん、目が泳いだり、急にぎゅっと閉じたりを繰り返しているんです。それって頭がフル回転状態の証拠なんです。休憩が必要なサインのひとつですね」
柳原の指摘を受け、ロクは押し黙った。もう閉店間際で、お客は柳原しかいない。
「あの……。ちょっと聞いてほしいことがあるんです」
ロクは遠慮がちに言う。柳原は、なんでも聞きますよ、と答えた。
ロクは思い切って、ここ数日の出来事を伝えた。それは、ニコニコレンジャーが来店し、その後、彼らをかき氷屋で見つけたこと。その翌日に串カツ200本の配達注文を受けたこと。
配達先の建物で出会った、ファザー、ファミリー、彼らの歌と踊り……。
「もうずっと、頭の中で彼らの歌声が鳴り響いているんです。ハッピーハッピーって。あと、ドームのなかで色が渦巻いていた光景もフラッシュバックするんです。そうなると、ちっとも頭が休まらないんです」
柳原は一通り話を聞き終わったあと、両腕を組んでしばらく考え込んだ。
「ロクさんの思考が、解放に向かっているサインかもしれません」
柳原の台詞が理解できなくて、ロクは目を丸くする。
「か……解放?」
「今、ロクさんの頭の中では、『ここに踏み込んではいけない』という警告が鳴っているのでしょう。その一方で、彼らのように無邪気になりたいという欲も芽生えている……」
「え……。そんなことないです。僕、ハッピーハッピーなんて歌いたくありませんよ」
ロクはたじろいでしまう。柳原は思案顔のまま、豊かな白髪をかき上げた。
「ロクさん、かき氷を食べた時のこと、覚えていますか?」
いきなり話が飛んで、ロクはきょとんとしたが、集中して記憶を手繰り寄せた。
「えっと……。口に含んだ瞬間、頭がクラっとなりました。景色も一瞬白くなって……。気が付いたら夢中になって氷を食べていました」
「それです。キーンとする冷たさを感受して、頭は痛くなるけれど、その後は勢いよく頬張る。ロクさんにとってハッピーハウスの存在はそれに近いと思いますよ」
柳原の説明に対してロクは混乱する。
「いや……、ハッピーハウスは、僕にとって異質ですよ」
「まぁまぁ。ロクさん、そう難しく考えなくても大丈夫ですよ。距離を置きながら、ちょっと風変わりな人たちだなぁって目で見てればいいんです。おめでたい人たちだなぁって」
柳原はにこにこしながらロクをなだめた。
「そ、そうですよね。すみません、なんか、変なことを相談しちゃって」
「いえいえ。僕も、ハッピーハウスやファザーの話に興味があります。何かありましたら、すぐに教えてくださいね」
柳原の穏やかな笑みに、ロクはほっとした。
「そういえば、ロクさんのハッピーカラーは赤だったんですよね?」
柳原は串カツを頬張りながらつぶやく。
「はい。そう言われました。なぜ赤なのか、よく分かりませんが」
「赤という色は、情熱に例えられがちですが、『魔除け』という意味も備えています。この店には邪気を寄せ付けない、ということでしょう。ロクさん、ここは守られています」
柳原の確信めいた口調に、ロクは胸を撫でおろす。
「そういう意味の赤なら、嬉しいですね」
「ロクさんのハッピーカラーにちなんで、赤ワインを飲もうかな。ロクさんも、1杯どうですか?」
「え、いいんですか?」
2人のワイングラスが、カン、と高い音をたてて交わった。
「串カツろくの今後の発展を祈って、乾杯」
赤ワインを飲む柳原の顔は多幸感にあふれている。ロクはその表情をちらちらと見ながらワインを口に運ぶ。
いつになく饒舌な柳原の弁を聞くうちに、ロクのワインはすぐに無くなってしまった。 酔いが回ると、ハッピーハッピーという歌声が、なぜか心地よいものにロクには感ぜられた。